24時間
今年も恒例の24時間TVがあった。
けれど、私は1分たりとも、この放送を見ていない。
100キロマラソンランナーは落語家さんが走ったそうだが、今年は一瞬も走っている姿を見ることはなかった。
と言うか、芸能人が100キロマラソンを走っていることの意味が分からない。
たった一人で、この大役を背負い、辛く苦しい目にあいながら完走を目指す…
「完走しないと番組が盛り上がらない」
そんな責任を感じながら番組のために走り続ける。
でも、そこに自分の意思はあるのだろうか?
私には、どう見ても番組にいやいや走らされているようにしか見えないのだ。
今年は両足に障害を抱えた男の子が富士登山に挑戦するという企画があったらしいが…
悪天候の中、障害を抱えた子が1合目から登頂すること自体無理があるのでは?
これ、本人が望んだことなの?
ちょっと間違えたら虐待に見えるんだけど…?
ネットの中では多くの批判が上がっている。
涙を誘う番組作り。
感動させようと、あの手この手で企画を作り続けるスタッフたち。
障害を抱える子供たちが見世物のような扱いを受けている気がしてならない。
なんだか感動のお涙頂戴番組にしか見えなくなった。
たしかに大きな金額が募金によって集まることは良い事だと思う。
たぶん今年は募金の多くが熊本地震の被災者に贈られるのだと思う。
募金によって多くの施設などが恩恵を受けているのも確かだ。
そういうところは評価したいのだけれど…
そもそも健常者が考えた企画を―――
それが間違いなのだと思う。
障害者が自らの意思で目標を立て、頑張っている姿を応援したいのであって、番組が作った企画を見て応援したいという気分にはなれないのだ。
感動の押し売り。
こんな番組は、ちょっと見たくないな…

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